年末、そして新年
新年だけど信念はありません。
大晦日に近所を散歩してきました。1日曇り空で、雨が降ったり止んだりといった天気でした。庭の木の葉も水玉をたたえています。

庭に新しく敷き詰められたコケも水気をたたえて伸び伸びしているように思います。

散歩中、電信柱を撮りました。

何の変哲もない、アパートの前の植え込みも撮りました。クリスマスの名残のようにも見えるけど、それはきっと気のせいでしょう。

雨にさらされたビニールハウスも撮りました。

金網の向こう、線路脇に置かれたカゴに入っているのは廃棄物なのでしょうか。

強い衝撃を受けた傷跡。

電車は走ります。大晦日にも、雨の中でも。

畑を囲む緑のネットが、まるで世界を遮断する金網のように見えるのは時代のせいでしょうか。

廃棄された農作物が廃棄された何かに見えるのは時代のせいでしょうか。

警告を発する瞬間を待ちかまえているように見えるのは時代のせいではなく僕のせいなのでしょう。

ほら、電車が来るよ。大晦日の日にも、雨の中にも電車は走るんだよ。

誰かを乗せた1両だけの電車が通りすぎていきます。旅に出るわけではないのです。ただ、踏み切りが降りているのです。

さようなら、と口に出してみます。お元気で、と返ってきます。通り過ぎた電車が戻ってこないことを僕は知っています。

ねえ、その向こうに救われる世界は広がっていますか。その世界にあの人たちはたどりつけますか。僕は明日も生きているのですか。

新年に、信念はないけど、死んではいないのです。深遠は真円のように仮定された理想郷の1つの裏返った事実なのです。


